関東の阪神ファンと、関西の巨人ファン。
地元の空気に逆らいながら、
自分の“好き”を手放さずにいる「少数派」。
東京で阪神を応援してると、ふとした瞬間に「自分、少数派やな」と思わされることがあります。
そして、
同じ野球ファンやのに、阪神と巨人って、
揺れ方がほんまに違うなと思う瞬間があります。
わたくしなりに心理学やファン文化、地域性の話も読みながら考えていく中で、ひとつ腑に落ちたことがありました。
この記事では、
- 東京の阪神ファンが“熱く見える”本当の理由
- 大阪の巨人ファンが“勝っている時だけ元気に見える”心理の仕組み
- 両者の「肩身の狭さ」はどこから来て、なぜ質が違って感じられるのか
- そもそも「応援する」って、自分にとって何なんだろうという話
このあたりを、丸の内のOLで「隠れ虎党」の南野ちえが、わたくしの体感も混じえながら言葉にしていきます。
もしあなたが、
「なんで自分、阪神のことになるとこんなに揺れるんやろ…」
とひとりで抱えてきた東京の虎党なら。
または、「大阪で巨人を応援してるけど、肩身が狭くてしんどい」と感じているなら。
この話を聞くと、腑に落ちる何かが見つかると思います。
関東の阪神ファンはなぜ“熱くなる”のか
関東で「わたくし阪神ファンなんですよ」って口にすると一瞬の“間”ができる。
笑われるわけでも、否定されるわけでもない。けど、あの“間”は確かにある。
これは誇張やなくて、わたくしが丸の内で何度も味わってきた実体験です。
東京で働いてると、周りは巨人ファンか、そもそも野球に深入りしない人が多い。
そんな中で阪神の話をすると、
たいてい「へぇ、珍しいね」って思われる。
別に悪気があるわけじゃないのも分かる。
分かるんやけど、こっちはこっちで胸の奥がピクリと反応してしまう。
関東に来たばかりの頃、わてはずっと自分に問いかけてました。
「なんで阪神のことになると、わてだけこんなに熱くなるんやろ?」
阪神が勝った翌日に誰かを論破したいわけでもない。
勝ったからって自分が偉くなるわけでもない。
それなのに、阪神勝利の文字を見ただけで体が反応する。
負けた翌朝は、中央線の車内がちょっとだけ息苦しく感じたり。
当時のわてには、それがうまく説明できませんでした。
でも東京で阪神ファンとして日々を過ごしているうちに、
ひとつ気づいたことがあります。
アウェイで応援すればするほど、心の中の“虎”は、強く・大きくなる。
外の空気がよそよそしいほど、逆に「阪神だけは手放したくない」って気持ちがくっきりしてくるんです。
心理の言葉で照らすと、この感情にはちゃんと理由がある。
そう思えた瞬間、妙な引け目がすっと薄れました。
わてが変なんやなくて、“理由のある熱”を抱えてただけやったんや。
ここでは、
関東の阪神ファンの熱の正体と、なぜ外から見ると濃く映るのか。
自分の中では、だいたいこの3つが重なってる気がします。
アウェイ環境が帰属意識を強烈に高める
アウェイにいると、人は不思議と“自分の旗”を手放しにくくなるんです。
東京で阪神を応援し続けるってことは、
毎日、何かに逆らいながら生きるって事じゃないですか。
(少し大げさかも・・・)
歓声がない場所で、ひとりで喜んだり、ひとりで沈んだりする。
これって、自分の中に”阪神”がじわじわ積み重なってくるんです。
だからこそ、”阪神”を選び続けることが、
いつの間にか「自分は自分でええ」と確認する行為になっていく。
- 阪神の勝敗が、その日の自分のテンションを左右する
- 応援に、誰にも見えない覚悟が混ざってくる
- 負けても離れない感じが、気づいたら育っている
これに気づいたとき、わたくしはちょっと笑ってしまいました。
「関東で阪神ファン続けるほど熱くなるのって、そらそうなるわ」って。
ここで言う“熱”は、
勝ったときだけテンションが上がるタイプの熱とは少し違います。
むしろ、
勝っても負けても日常の中に残り続ける、粘り気のある熱。
そんな感じです。
「関東で阪神」は“静かな誇り”として育つ
関東で阪神を応援してると、なんとなく踏みつけられたタンポポみたいやな、って思うことがあります。目立たへんし、強そうにも見えへん。でも、気づいたらまた顔を出してる。そんな感じの誇りです。
それと同時に、あるとき気づいたことがありました。
巨人ファンは“強さ”で自分を整えやすい。
阪神ファンは“物語”で自分を整えやすい。
どっちが上とか下とかじゃなくて、単に整え方が違う。
そう見えるようになった瞬間、巨人ファンへの見方も少し変わりました。
やり方は正反対でも、根っこにあるのはたぶん同じで、
「自分を支えたい」って気持ちなんやと思うんです。
負けても応援をやめられない心理的構造
阪神ファンって、よく言われます。
「負けても応援するのが理解できない」
「どうしてそこまで感情を入れられるの?」
でも、理由は意外とシンプルです。
阪神が、人生の物語の一部になってるから。
- 家族との記憶
- 子どもの頃の景色
- 関西で過ごした日々の積み重ね
- 友人や恋人との思い出
阪神って、
それら全部を一本の線でつないでくれる“軸”みたいな存在になりやすい。
だから関東に来ても、「ここだけは手放したくない場所」として残り続けるんやと思います。
わたくしも、この事を理解して腑に落ちたとき、やっと自分に言えました。
「阪神のことで熱くなるわては、間違ってへん。」
負けても応援を続けるのは、異常でも執着でもない。
帰属の感覚と、積み重ねてきた記憶がつくる、ごく自然な反応だったんだ。
そして、その自然な反応が、外から見ると「熱い」と映るだけ。
たぶん、そういうことなんやと思います。
関西の巨人ファンはなぜ“勝っている時だけ”機嫌が良くなるのか
関東の阪神ファンが「負けても、まあ離れへん」タイプやとしたら。
関西の巨人ファンは、たしかに真逆に見えることがあります。
——勝ってる時だけ、急に元気になる。
で、負けが込みはじめると。
昨日まであんなに大事そうに話してた巨人戦の話が、すっと生活から消える。
わたくしは関西で育ったので、これを子どもの頃から何度も見てきました。
小学生の頃、近所にひとり、熱烈な巨人ファンのお兄ちゃんがいました。
勝ってる時期は、帰り道でも堂々とGマークの帽子をかぶってたんです。
ちょっと誇らしげに、っていうか、ほんまに背筋が伸びて見えた。
でも、連敗が続いたある時期。
昨日まで毎日見ていたその帽子が、ある日ぱったり姿を消しました。
「どうしたん?」って聞いたら、
「今はええわ」ってだけ言われて。
帽子は押し入れの奥にしまわれてた。
そのとき、わては子どもながらに思ってました。
「なんで巨人ファンって、こんなに揺れやすいんやろ」
当時は理由が分からなかったし、ただ不思議やった。
でも大人になって、心理の話を少しかじって、
関東で阪神ファンとして暮らすようになってから、ようやく腑に落ちたところがあります。
——この揺れやすさって、弱さやない。
たぶん「仕組み」みたいなものが先にあって、そこに気持ちが乗ってる。
ここでは、関西の巨人ファンがなぜ“勝っている時だけ元気に見える”のか。
心理の話と、関西の空気の話を行ったり来たりしながら、順番に言葉にしてみます。
関西の巨人ファンは「強さ」と気持ちをくっつけやすい
心理学に「BIRG(強者同一化)」って言葉があります。
いきなり横文字でごめんなさい。
でも、現象としてはわりとシンプルで、
強いものに自分を重ねて、勝った時に気持ちが持ち上がる。
巨人って、長いこと「球界の王者」みたいに扱われてきたチームやし、
勝てば、その強さをちょっと借りれる感じがする。
たぶん本人も、いちいち意識してないことが多いと思います。
関西にいると、これが分かりやすい形で出ることがあります。
巨人が勝った翌日、巨人キャップの子が、なんとなく胸を張って歩いてる。
今なら分かる。あれは「勝ちの光」を少しだけ借りてる感じやったんやと思う。
別に悪いことじゃないです。
人って、元気になれるものに寄りかかりたくなるし。
ただ、そこに気持ちを預けすぎると、負けた瞬間にしんどくなる。
負けた瞬間、「自分まで負けた」みたいに感じてしまう。
そのしんどさを避けるために、試合から距離を置く。
これは気まぐれでも薄情でもなくて、
自分を守る動きとして出てくることがあるんやと思います。
「関西」の空気が、揺れを大きく見せる
もうひとつは、土地の空気です。
関西で巨人を応援するって、阪神文化の真ん中で、別の旗を立てることになる。
阪神はただの球団やなくて、会話のネタであり、季節の話題であり、生活のリズムの一部。
言うたら「阪神がデフォルトの世界」で生きてるのが関西人です。
その中で巨人ファンとして立つと、どうしても気を使う瞬間が増える。
- 「なんで巨人なん?」っていう、悪気のない視線
- 多数派に混ざれへん感じ
- 阪神ファン同士の結束の強さに、ちょっと気圧される感覚
で、ここが地味に大きいんですけど、
巨人ファンには阪神みたいに「熱で押し返す」文化が、あんまりない。
阪神ファンは、熱で踏ん張れる。
巨人ファンは、勝利で踏ん張る。
だから、勝っている時は堂々とできるし、
負けると、その支えが一気に細くなる。
この動きが、関西だと余計に目立つんやと思います。
負けが続くと距離を置くのは「逃げ」じゃなくて、たぶん自己防衛
阪神ファンは、負けても離れにくい。
巨人ファンは、負けが続くと距離を置きやすい。
この違いって、性格の差でも情熱の量でもないです。
応援の根っこが、どこに置かれているかが違う。
巨人ファンの根っこには、
- チームの強さ
- 積み上がったブランド
- 勝った時の高揚感
こういう要素が乗りやすい。
だからそこが揺らぐと、「足元まで不安定になる」感じが出てくる。
それで一度距離を置く。
逃げというより、自分を守るための一歩引きに近い。
この仕組みが見えてから、わたくしの中で巨人ファンの見え方が変わりました。
「あぁ、この人たちも、自分を守るために一歩引いてただけなんや」
阪神ファンと巨人ファンは、真逆に見えることが多い。
でも突き詰めると、どっちも「揺れる心」をどう扱うかが違うだけなんやと思います。
わてらは“物語”で踏ん張り、
巨人ファンは“勝利”で自分を支えてきた。
そう思えるようになってから、
阪神ファンとしての自負と、巨人ファンへの優しさが、同時に自分の中に残るようになりました。
じゃあ、この「揺れやすさ」と「離れにくさ」の差は、どこから生まれるのか。
次は、その土台になってる“肩身の狭さ”の話をしていきます。
両者の“肩身の狭さ”はどちらが強い?
関東で阪神を応援する人も、関西で巨人を応援する人も。
どっちも、ざっくり言えば「地元の空気」に逆らう側の人間です。
だから肩身は狭い。
ただ——同じ“狭さ”でも、たぶん中身がぜんぜん違う。
この違いが分かったとき、わたくしはやっと、
自分の中に長いこと残ってた「胸のつかえ」の正体に触れた気がしました。
関東に出てきたばかりの頃。
阪神が負けた翌朝の中央線で、吊り革につかまりながら、よく自分に聞いてました。
「なんでわて、誰にも責められてへんのに、こんな肩身が狭い気がするんやろ……」
会議室に入るとき、胸の奥がちょっとだけ縮む。
スコアを見るだけのはずが、画面を開く角度を少しだけ気にしてしまう。
負けた翌日は、沈んだ心を隠すために、呼吸が浅くなる。
誰かに何か言われたわけじゃない。
それなのに、ずっと「わてだけ弱いんかもしれへん」と思ってました。
でも、関西の巨人ファンが抱える“肩身の狭さ”の話を、
自分なりに理解できた瞬間。
頭の中で、カチッと音がしたんです。
「あぁ……狭さの出どころが違うだけで、みんな同じように揺れながら応援してるんや」
そう思えたことで、胸のどこかがふっと軽くなった。
ここでは、その“狭さの違い”を、できるだけ具体のまま言葉にしていきます。
関東阪神ファン:外側から押されるタイプの肩身の狭さ
関東の阪神ファンが感じる肩身の狭さは、ざっくり言えば外側から押されるタイプです。
職場でも電車でも、周りの多くは巨人を“標準設定”として育った人たち。
そんな中で阪神を応援するのは、毎日が小さな逆張りみたいになる。
- 雑談が野球に寄った瞬間、うまく混ざれへん
- スコアを開くとき、あの静かな緊張が走る
- 負けた翌日は、顔を整えてから出社する感じがある
わたくしも、阪神が痛い負け方をした翌朝、
会議室のドアを開ける手がいつもより重かったことがあります。
ドアノブって、あんなに冷たかったっけ?って思うくらい。
でも、ここが阪神ファンの面白いところで——
この外圧って、しんどいだけじゃなくて、逆に芯を太くすることがあるんです。
周りの空気に合わせなくても、阪神だけは手放さない。
その選択を何回も積み重ねるうちに、誰にも見せない誇りが育っていく。
ある日ふと、こんなふうに思える瞬間が来ました。
「あぁ、わてはこの誇りがあるから、揺れても折れへんのや。」
揺れる。けど折れない。
それが、関東の阪神ファンが抱える肩身の狭さの特徴やと思います。
関西巨人ファン:内側からじわじわ湧く肩身の狭さ
一方、関西の巨人ファンの肩身の狭さは、外から押されるだけじゃなくて、
内側からじわじわ湧いてくる不安が混ざりやすい。
関西は阪神文化の中心です。
阪神は球団というより、家族の会話であり、季節の話題であり、生活のBGMみたいな存在になってる。
その中で巨人を応援するというのは、気づけば周りの空気を拾ってしまう状況になりやすい。
- 「わざわざ巨人?」という、軽いツッコミ
- 多数派に属せない感じ
- 阪神ファンの“物語の厚み”に、押される感覚
さらに、巨人ファンの応援は、阪神みたいに「物語」に寄るというより、
強さを拠り所にしやすい面がある。
だからこそ、負けが続くと、その支えがふっと細くなる。
外側からガンガン押されるというより、
内側の土台が揺れて、結果として肩身が狭くなる。
この構造が見えたとき、わたくしは思いました。
「巨人ファンも揺れてたんや。
わてとは違う場所で、でも同じ強さで。」
結論:狭さの“質”が違う
じゃあ結局、どっちがより肩身が狭いのか。
これは優劣で決められる話ではありません。
ただ、こういう違いはあると思います。
- 関東の阪神ファン:外からの圧を受けながら、芯が太くなっていくタイプ
- 関西の巨人ファン:内側の不安が揺れやすく、勝敗で土台が細くなりやすいタイプ
どちらも肩身は狭い。
でも、その狭さが生まれる場所が違う。
だから、応援スタイルも、熱の出方も、揺れ方も、別の生き物みたいに見えてくるんやと思います。
わたくしはこの違いを理解したとき、こう思えるようになりました。
「阪神ファンと巨人ファンは違う。
でも、みんな“地元の空気”と闘いながら、自分の好きなものを守ってる仲間なんや。」
この“狭さの違い”が、阪神ファン特有の“熱さ”にどう影響しているのか。
次はそこを、もう少しだけ掘ってみます。
阪神ファンの“熱さ”は異常ではなく、文化と心理の積み重なり
阪神ファンの「熱さ」って、外から見ると、ちょっと誤解されやすいところがあります。
「なんであんなに感情を振り回されるの?」
「ちょっと過剰じゃない?」
「負けても応援するの、正直よく分からない」
関東で働きはじめた頃、
こういう言葉を耳にするたび、胸のどこかが静かにざわつきました。
誰かに責められているわけじゃない。
でも、なぜか引っかかる。
——なんでわては、阪神のことになると、こんなに揺れてしまうんやろ。
阪神が負けた翌朝、
出社前に、意味もなく一度深呼吸してから玄関を出る自分。
阪神が勝った夜、
満員電車の中で、誰にも見えへんように拳をぎゅっと握ってしまう自分。
そういう一つひとつが、いつの間にか
「自分だけがおかしいんかもしれへん」という、
小さな恥ずかしさに変わっていました。
でも、阪神ファンと巨人ファンの心理の違いを、
行ったり来たりしながら言葉にしていくうちに、
少しずつ考えが変わっていったんです。
——阪神ファンの“熱”は、異常なんかやない、これが普通なんや。
この気づきは、
長いあいだ自分でもうまく説明できずに抱えてきた
“心の揺れ”に、ようやく名前をつけてくれました。
ここでは、その理由を、
わたくしの中で特に大きかった三つの感覚から書いてみます。
帰属意識が、感情を大きく揺らす
スポーツの世界では、
「チームへの帰属意識が強いほど、感情の振れ幅は大きくなりやすい」
と言われることがあります。
阪神ファンは、たぶんその分かりやすい例やと思います。
- 家族で阪神を応援するのが当たり前やった記憶
- 関西の空気に、いつの間にか染みついていた“虎の物語”
- 甲子園という、「帰る場所」みたいな存在
こういうものが重なって、
勝敗をただの結果やなく、
「自分ごと」として受け取る感覚が育っていく。
わたくしが関東に来て驚いたのは、
巨人が負けても、周りの人が数分後には普通に別の話題に移っていくことでした。
最初は、
「なんでそんなに切り替え早いんやろ……?」
って、正直ちょっと不思議やった。
でも今なら分かります。
阪神ファンは「物語」に帰属していて、
巨人ファンは「強さ」に帰属している。
帰属している場所が違うから、揺れ方も違う。
阪神ファンの熱は、異常なんやなくて、
物語への帰属が深いぶん、自然に大きくなる反応なんやと思います。
地理的な距離が、気持ちを濃くする
関東にいる阪神ファンは、常にアウェイです。
そのせいで、応援がただの趣味にとどまらず、
いつの間にか「自分の拠り所」みたいな位置まで上がってくる。
心理の話では、
愛着の対象は、距離があるほど強くなりやすいとも言われています。
関東で暮らし、丸の内で働くわたくしにとって、
阪神のスコアを開く行為は、
もはや習慣というより、ちょっとした儀式みたいなものです。
スマホの画面を開いた、その一瞬だけ、
胸の奥で小さく灯りがともる感じがする。
——あぁ、わての心は、ここに戻ってきたんやな。
地理的な距離があるからこそ、
阪神への気持ちは薄まるどころか、むしろ濃くなる。
これは熱狂というより、
ごく自然な愛着の動きに近い気がします。
応援が、人生の物語に組み込まれていく
阪神ファンに共通しているのは、
応援が人生の物語と、深いところで結びついていることです。
わたくし自身、阪神の試合を思い出すと、
- 家族と過ごした時間
- 子どもの頃の夏の音や匂い
- 友人と夜遅くまで語った記憶
- 恋人と甲子園へ行った帰り道
そういう人生の断片が、
一本の帯みたいにつながって出てくる。
だから、勝てばうれしい。
負けると苦しい。
それでも、離れられない。
これは依存やなくて、
人生が阪神と一緒に歩いてきたという事実に近い。
外から見ると、ちょっと極端に見えるかもしれへん。
でも内側から見ると、不思議なくらい筋が通っている。
阪神ファンは、勝利に生きるんやなく、物語に生きている。
物語が深いほど、熱も深くなる。
そしてその熱は、異常ではない。
文化と地域と家族と心理が、何層にも重なってできた、
ある意味、とても自然な結果やと思います。
この構造が分かったとき、
わたくしはようやく自分に、こう言えました。
「わてが阪神で熱くなるのは、おかしいんやなくて……
自然で、ちゃんと理由があることやったんや。」
比較することで見えた「応援の本質」
ここまで、「関東の阪神ファン」と「関西の巨人ファン」を並べて見てきました。
でも、最後に残ったのは、性格の違いとか、熱量の多さ少なさ、みたいな話ではありませんでした。
わたくしの中には、ずっと胸の奥に沈めてきた問いがあります。
——応援って、いったい何なんやろ。
阪神と巨人。
アウェイの虎党と、関西のジャイアンツファン。
一見すると、まるで別の世界を生きているように見えます。
揺れ方も違う。怒り方も違う。喜び方も違う。
でも、その違いを一つずつほどいていくと、
不思議なことに、「応援という行為の根っこ」だけは、
静かに同じ場所へ戻っていく感じがしました。
わたくしが阪神であれだけ感情を揺らす理由も、
巨人ファンが勝敗で大きく気分を上下させる理由も、
形は違うのに、どこかで同じところを触っている。
そのことが腑に落ちたとき、
胸の奥に、じわっと温度が戻ってくるような感覚がありました。
阪神ファン=感情と物語の回路で応援する
阪神ファンの応援は、勝ち負けだけで完結するものではありません。
わたくしたちは、「感情」と「物語」という二つの回路で、
チームとつながっていることが多い。
家族で囲んだ夕食の記憶。
祖父がぽつりと語ってくれた昔の選手の話。
天王寺の商店街で流れていたラジオ中継。
甲子園の砂の匂い。
そういうものが、少しずつ重なって、
阪神はただのスポーツチームやなく、
人生の背景みたいな存在になっていきました。
だから、勝てば涙が出るし、
負けると胸の底が重く沈む。
「やめる」という選択肢は、最初から頭に浮かばない。
わては阪神と一緒に揺れて、
阪神と一緒に、また日常に戻ってくる。
応援は、わたくしの人生の延長線上にある。
これが、阪神ファンの応援のかたちであり、
わたくしがここまで熱くなる理由、そのものやったんやと思います。
巨人ファン=強さを借りて自分を整える応援
一方で、巨人ファンの応援は、
「強さ」や「勝利」を借りて、自分を整えるスタイルに近い。
勝っている間は誇らしく、
負けが続くと、少し距離を置く。
正直に言うと、昔のわたくしは、
「なんでそんな簡単に手放せるん?」
って思ってました。
でも、心理の回路を知ってから、その見え方は大きく変わりました。
強さを借りて、自分を立て直す。
それって、人間として、かなり自然な動きなんやと思います。
巨人の勝利が自己肯定感の支えになって、
それが揺れたら、応援も揺れる。
以前は否定してしまいそうやったこの揺れも、
今はちゃんと理解できる。
それは、わたくしたちとは逆の方法で、
同じ「好き」という気持ちを形にしていただけやったんや、と。
どちらも“野球が好き”という根は同じ
そして、いちばん強く胸に落ちたのは、ここでした。
阪神ファンは「物語」で生き、
巨人ファンは「強さ」で生きる。
やり方はまったく違う。
ほんまに正反対に見える。
でも——
根っこは、同じ。
「野球が好き」
ただ、それだけなんです。
応援の仕方は違って見えても、
見つめている先は、同じグラウンド。
感情の揺れ方は違っても、
耳に残っているのは、同じ白球の音。
わては阪神で熱くなる。
巨人ファンは勝敗で揺れる。
ほんまに真逆やのに、
胸の奥を流れているものは、驚くほど重なっていました。
このことに気づいてから、
わたくしは巨人ファンを見る目が、少しやわらかくなったし、
自分の“熱すぎる心”も、ようやく受け入れられるようになりました。
応援は、誰かと比べるものやなく、
自分とチームとの関係で決まるもの。
ここまで読んでくれたあなたも、
どこかで似た感覚を、うっすら感じはじめているかもしれません。
次の章では、よく聞かれる疑問をQ&A形式で整理しながら、
この記事で伝えたかった核心を、最後まではっきりさせていきます。
阪神ファンと巨人ファンの心理に関するよくある質問
阪神ファンって、やっぱり「感情が大きい」人が多いんですか?
これ、関東に来たばかりの頃、わたくしも何度か言われました。
「ちえさん、阪神の話になると、声のテンション変わりますよね?」って。
そのたびに一瞬だけ、
「あ、やっぱりそう見えるんや…」って思ったのを覚えてます。
でも今は、こう考えています。
感情が大きいというより、帰属の深さが違うだけ。
阪神って、ただの応援対象というより、
いつの間にか物語そのものになりやすい存在やと思うんです。
家族との思い出。
子どもの頃の記憶。
関西で過ごした時間。
人生のあちこちに、勝手に入り込んでくる。
だから勝ったら嬉しくて泣きそうになるし、
負けたら胸がぎゅっと重くなる。
わたくし自身、長いあいだ
「なんでこんなに揺さぶられるんやろ…」って不思議やったけど、
心理の構造を知ってから、すとんと腑に落ちました。
揺れるのは、愛が深いから。
それだけやったんやと思います。
巨人ファンは「勝っている時だけ応援する」って本当?
これ、巨人ファンの友だちからも、よく聞かれます。
「ちえちゃん、私そんな薄情に見える?」って(笑)。
もちろん、全員がそうという話ではありません。
ただ、心理的な傾向として、
巨人ファンは“強さ”と気持ちを結びつけやすいところがある。
関西にいた頃、近所のお兄ちゃんが、
巨人の連敗中だけGマークの帽子をかぶらなくなってたのを、
わてはよく覚えてます。
子どもの頃は、
「なんでそんなに揺れるん?」って思ってました。
でも大人になって分かりました。
勝利は、巨人ファンにとって“心の支え”になりやすい。
その支えが揺れたら、応援の距離感も揺れる。
それって、人としてかなり自然な反応やと思います。
関東で阪神ファンを名乗るのが肩身狭いです…どうすればいい?
わたくしも、丸の内で働きはじめた頃、まったく同じことを思ってました。
阪神が負けた翌日なんて、
オフィスのドアを開ける瞬間が、ちょっとだけ重い。
誰にも何も言われてへんのに、
勝手に空気を気にしてしまう。
でも、心理の構造が見えてから、考え方が変わりました。
外圧が強いほど、阪神ファンの誇りは内側で静かに育つ。
関東で阪神を応援しているというだけで、
あなたはもう、自分の軸を持っている人やと思います。
肩身の狭さは弱さやなくて、
芯がある証拠やと思ってええ。
じゃあ、関西の巨人ファンが肩身狭いのはなぜ?
関西は、阪神文化のど真ん中です。
応援の温度も濃度も、とにかく高い。
その中で巨人を応援するというのは、
外から責められるというより、
自分の内側に不安が生まれやすい状況になります。
阪神ファンは「物語」が軸になりやすい。
それに比べると、巨人ファンは「強さ」が軸になることが多い。
だから、負けが続くと、その軸が揺れる。
その結果、肩身の狭さを感じてしまう。
この構造が見えてから、
わたくしは巨人ファンに対して、少し見方が変わりました。
「揺れてるのは弱いからやなくて、
守りたい自分があるからなんやな」って。
結局、阪神ファンと巨人ファンはどっちが“正しい”応援なん?
どっちも正しいし、どっちも間違ってへん。
阪神ファンは物語を生きて、
巨人ファンは強さを生きる。
ただ、それだけの違いです。
わたくし自身、この答えにたどり着いたとき、
心の力がすっと抜けました。
「応援に正解はない」
この言葉って、思ってた以上に人を楽にしてくれます。
応援スタイルが人と違うと「おかしい」って思われません?
これ、阪神ファン・巨人ファン関係なく、ほんまによく聞きます。
でも、応援は比べるためのものやありません。
淡くてもいい。
激しくてもいい。
揺れてもいい。
ブレてもいい。
それは、その人が生きてきた物語の続きやから。
応援の形は、人の数だけあってええ。
わたくしは、そう思っています。
一次情報|本記事の根拠となるデータ・研究
ここまで書いてきた心理の話や文化の違いは、
わたくしの体感だけで組み立てたものではありません。
正直に言うと、
「これ、わたくしの思い込みちゃうやろか?」と不安になる瞬間もありました。
なので、実際に公開されている研究や調査、専門コラムをいくつも読みながら、
自分が感じてきたことは、どこまで言葉にしていいのか
ひとつずつ確かめるように整理しています。
以下は、本記事を書くうえで、
「感覚だけに頼りすぎてへんか」を確認する土台になった一次情報です。
① 阪神ファンの熱狂度について(Yahoo!スポーツナビ)
阪神ファンが「他球団より熱い」と言われる理由を、
調査データや具体例をもとに分析したコラムです。
帰属意識の強さや、
勝敗が感情に与える影響についても触れられていて、
「なぜ阪神ファンは揺れやすく見えるのか」を考えるうえで、
とても分かりやすい資料でした。
わたくし自身、
「あぁ、これ、わたくしが感じてたことや…」と何度も思いながら読みました。
詳しくは、Yahoo!スポーツナビの解説記事を参照してください。
② ファン心理:チーム帰属意識の研究(J-STAGE)
スポーツマネジメント分野の研究論文で、
「チームへのアイデンティティの強さが、感情変動や応援行動に直結する」
ことが示されています。
阪神ファンが、
負けが続いても簡単に離れにくい理由を、
心理学的に裏づけてくれる一次情報です。
読みながら、
「わてが弱いから離れられへんわけやなかったんやな」
と、少し肩の力が抜けました。
研究内容は、J-STAGEの論文ページから確認できます。
③ 弱くても応援を続ける理由(BASEBALL FROMATION)
勝敗と応援継続の関係について、
実例と心理メカニズムの両面から解説したコラムです。
ファンが「強さ」だけでなく、
「物語」や「記憶」に支えられて応援を続ける理由が、
とても具体的に語られています。
阪神ファンの応援スタイルを考えるうえで、
個人的にも、いちばん腑に落ちる部分が多かった資料かもしれません。
詳細は、BASEBALL FROMATIONのコラムをご覧ください。
④ SNS感情×ファン熱狂研究(日本マーケティング学会)
試合ごとのSNS投稿を分析し、
勝敗とファンの感情の動きを統計的に整理した研究です。
ここでは、
「熱狂の振れ幅は、チーム状況だけでなく、帰属意識の深さによって左右される」
ことが示されています。
感情の揺れが「異常」ではなく、
構造として説明できるものだと理解するうえで、
とても重要な資料でした。
研究の詳細は、日本マーケティング学会の論文ページから確認できます。
内部リンク|関連テーマへの案内
この記事を読み終えて、
「もう少し具体的な話も知りたい」
「この気持ちを、日々の生活の中でどう支えたらええんやろ」
そんなふうに感じた方も、もしかしたらいるかもしれません。
ここでは、今回の話と空気感が近くて、
“読んだあとに現実がちょっと楽になる”関連記事を紹介します。
- 関東で阪神戦を観る方法|テレビ・配信の徹底ガイド
関東在住の阪神ファンが、
「どうやって試合を追い続けるか」を、かなり現実的な目線でまとめたガイド記事です。応援する気持ちはあっても、
観る環境が整ってへんと、しんどくなる瞬間がある。この記事で触れてきた
“アウェイで応援を続けるための土台づくり”
という話を、生活レベルに落とし込む感覚で読むと、
すっとつながる内容になっています。
最後に(まとめ)|応援の形は、人の数だけあっていい
関東で阪神を応援する人は、
アウェイの空気の中で、
それでも阪神を手放さずに生きています。
声を張り上げるわけでもなく、
誰かに誇るわけでもない。
ただ、静かに、自分の中に置いている感じ。
それはたぶん、
強さというより、誇りに近いものなんやと思います。
一方で、関西で巨人を応援する人は、
阪神文化が当たり前に流れる場所で、
自分の気持ちをどう保つかを、ずっと探してきた人たちです。
勝っているときは、少し胸を張れて、
負けが続くと、距離を取ってしまうこともある。
それは冷めているからでも、
薄情やからでもなくて、
自分を守るための、自然な動きなんやと思います。
阪神ファンの熱さも、
巨人ファンの揺れやすさも。
どちらも、
「どうやって自分を支えるか」の形が違うだけ。
どっちが正しいとか、
どっちが上とか、
ほんまは、そんな話でもなかったんやな、と
書きながら思うようになりました。
阪神ファンの熱は、
家族の記憶や、土地の空気や、
人生のあちこちと絡まりながら育ってきたものやし、
巨人ファンの揺れは、
勝利に気持ちを預けながら、
その日その日をちゃんと生きようとする心の動きです。
形は違うけど、
根っこにあるのは、たぶん同じ。
野球が好きで、
誰かを応援していたい。
それだけのことなんやと思います。
もしあなたが、
関東で阪神を応援していて、
ときどき孤独を感じることがあるなら——
それは、弱いからやなくて、
自分の好きなものを、自分で選んできた証やと思います。
もしあなたが、
関西で巨人を応援していて、
肩身の狭さを感じることがあるなら——
それは、あなたの心が、
周りの空気をちゃんと感じ取れるほど、繊細で豊かやからです。
応援の仕方に、正解はありません。
熱くてもいいし、
静かでもいいし、
揺れても、離れても、また戻ってきてもいい。
野球が好きで、
誰かを応援している。
それだけで、
もう十分なんやと、わたくしは思います。
今日、ここまで読んでくれたあなたへ。
この文章が、
自分の応援のしかたを、
「これでええんやな」って
少しだけ肯定できるきっかけになったなら。
それだけで、
書いた意味はあったと思っています。

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